太陽がいっぱい・・ヨットに憧れて

クルーザーヨットに憧れる

1960年~「太陽がいっぱい」が日本でも大ヒットして、ベビーブーマ世代がヨットライフにものすごく惹かれました。

「太陽の季節」で話題になった石原慎太郎のヨットがメディアに取り上げられたり、一気にマリンレジャーに火が付きました。

1962年には、堀江兼一がマーメイド号というミニクルーザで太平洋を横断し、それが石原裕次郎主演で「太平洋ひとりぼっち」として映画公開されました。

1964~1967年 鹿島郁夫がコラーサ号というわずか5mのヨットで大西洋つづいて太平洋横断に成功して、ヨットはものすごく身近なものになったのです。自分でも持てる、、、と。
*コラーサIIは淡輪ヨットハーバーに展示されています。あまりの小ささに驚きます。

YAMAHAはすでに様々なタイプのクルーザを出していましたが、5mで外洋を走れるんだ・・ということで、本格的なJunior Offshore Group(外洋が走れる)クルーザーとしてYAMAHA-21J.O.Gを投入しました。
この前後が21ftクルーザの黄金期です。様々なタイプの21ftを出しています。

その頃、日本は高度経済成長時代に突入していましたから、このようなクルーザが売れたのでしょう。

バブル崩壊・・・大量の中古ヨット

憧れで始めたヨット熱はバブルの崩壊と共に去りました。乗らないでいると維持費が重くのしかかります。

その結果、1990年以降、オーナーに手放された大量の中古ヨットが市場に出回るようになりました。

今までヨットやりたかったけど、新艇は買えないし、、、という若者や中高年に、機会が巡ってきました。

20万円~150万円くらいで、憧れの21フィート(船外エンジン)、26フィート(インボードエンジン)、30フィートのヨットのオーナーになれました。

新艇は売れません

中古ヨットは盛んに売買されましたが、新艇が売れません。これはヨット業界に打撃を与えました。

憧れでヨットオーナーになった人は、やることが一巡すると飽きてしまい行かなくなります。

これで、持ち主不詳のヨットが大量に発生しました。

ヨット文化は根付かずしぼんでしまいました

マスではなく各人の多様な楽しみ方をアシストして、年10万円で置けるセンターボード、リフティングキール艇ハーバー(ディンギーハーバーでOK)を地道に増やしていくような事をすべきでした。